四季を感じる日々の暮らしを綴っていきます。大好きな京都、鎌倉、花、甘いもの、そして アンティーク。過去記事にもお気軽にコメントどうぞ。


by noyuri
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初夏の京都散策 ④石塀小路~円山公園界隈

京都散策3日目。

この日は祖母の法要を兼ねて父と弟、内輪で食事に行きました。


石塀小路を抜けて
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石畳の道を通り抜けると
「ねねの道」に出ます。
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この風情ある美しい佇まいを見ると
京都に来たな~と感じます。
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円山公園にある老舗料亭

料亭左阿彌

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(料亭左阿彌のHPより文章お借りしています)

東山の庵に左阿彌が誕生したのは、元和元年のこと、織田信長の甥である織田頼長により、安養寺の末寺として建てられました。


左阿彌が料亭を始めたのは嘉永二年。
明治維新以降、御前会議にも使われました。
有栖川総督宮や山県有朋参与が止宿され、頼山陽先生や土田麦僊画伯によってこよなく愛されました。
さらに、川端康成や志賀直哉の文豪をお迎えし、作品『暗夜行路』・『古都』にも左阿彌がでてまいります。京都を描いた名作の作家らも、ここで京都の風情を楽しみました。

左阿彌が建立された元和元年。西暦では1615年であり、今から400年程昔になります。

織田頼長について
織田信長の弟である織田長益(有楽斎)の第2子(嫡子)です。大坂冬の陣で、長益(有楽斎)と従姉妹の淀君とともに大坂城に籠城し、二の丸玉造口などを守備されました。1万人あまりの部隊を指揮したといわれています。1615年の大阪夏の陣前に大阪城を退去され、入道し織田道八と名のり、茶人として左阿彌に隠居されるようになります。千利休に茶道を学び、利休十哲の一人とされる織田長益(有楽斎)が創始した有楽流を継承されました。

目にも美しい芸術品のようなお料理の数々

写真を撮りました。
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美味しいお料理と細やかな心配り、そして温かなおもてなし。

帰り際に女将さんが日本の横笛で
アメイジンググレイスを演奏してくださって

心に残る素敵な食事会となりました。
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by strawberryfield_b | 2014-06-24 17:42 | 京都